2019年2月11日 (月)

1984年細野晴臣の陰と陽

『風の谷のナウシカ』1984年1月25日リリース。当時、映画版ナウシカのイメージガールとして抜擢された新人、安田成美にエラく難解な東欧風音階を歌わせて物議を醸した曲。スケールもそうだがイントロやバッキングのアレンジそして音色に当時の細野の趣味がよく出てる。加えてこのイントロの空気からは同じ1984年にリリースされた『玉姫様』が否応なく連想される。


今回これだけ出して、どうです繋がってる感あるでしょう、と〆る予定だったのだけれど念のため確認して驚いたのが、この『玉姫様』のリリースも1月25日だったということ。どひゃー、同日リリース!これは確信犯ですよ。白細野と黒細野。作詞はそれぞれ松本隆と戸川純。そうかそいうことですか。ふうむ面白い。

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2019年2月 4日 (月)

あしたがすき


こんなに良い曲だった。メロディ・メーカー渡辺岳夫の面目躍如。そして堀江美都子の歌唱力と声の艶!
 
 
オープニングもまあよくできている

スコットランドの話だから、取って付けたようにバロック風イントロ…とずうっと思ってましたが、よく考えたらバロックならむしろイタリアかドイツじゃないのか。すげえ、半世紀近く渡辺岳夫マジックに騙されていた。
ちょっとラテンの入ったAメロから転調してザ・ジャパニーズ歌謡曲のBメロそしてサビ、いつの間にかメジャーに戻ったと思ったらスッと終わる。うーん、マジカル。

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2019年1月 5日 (土)

2019年ですね

年末はいつもバタバタして大したアイディアが浮かばないままやっつけで年賀状をつくってしまう。今年(昨年末)もテキトーにウェブで拾った画像をチョイチョイと加工して3分くらいで年賀状をデッチ上げてしまったのだが明けてから11月にガフが迎えに来る年だったことを思い出して地団駄踏んでいる。同じ拾い画像でデッチ上げるにしても、わかもと でやればよかった。30年後生きていたらゴズリング使うの忘れないようにしないと。Img_25

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2019年1月 4日 (金)

yesterday について(ずうっと思っていたこと)

昔中国で買ったverb のビートルズジャズカバーコンピを聴く。やはり聴いていて気持ちいいのはインスト。そもそも「オジサンたちの」ジャズに対するカウンターとして出てきた音楽だから、ジャズの話法で歌っちゃうとどうしても煮染めたような臭みが出てきてしまう。サラ・ヴォーンとか上手いのは分かるけど、あのコブシで yesterday は流石にどうだろう。yesterday は万能試験紙みたいなものだから同じことがシナトラやエルヴィス(後期)にも言えて、いまでこそ、ああシナトラうめえなあエルヴィス格好いいなあ、というのが分かるのだけれど例えば中学生のときビートルズに痺れた瞬間にはシナトラやエルヴィスから漂う加齢臭が煙たくて仕方なかった。yesterday の検出作用はとくに歌い出しに顕著に現れていて多分どの教科書でもメロディーラインは「♪ソファファ~」と書かれていてカバーする連中もほとんどがそれを正解として、むしろ洗練という感覚で歌っている。でもポールはそこに訛りを入れて、言わば東北弁で歌い始める。一音降りるのではなく平板に「イェスタデーー」で入っていく。「イエスタデイ~」ではなく「イェスタデー」だ。あるいは英語圏の連中に言わせればそれこそリバプール訛りの田舎風に聞こえるのかもしれない(英語圏に住んだことがないので単なる想像ですが)。しかし文化のエッジは辺境から立ち上がる。 おそらく60年代当時ハリウッド界隈で蝶ネクタイに葉巻咥えて総天然色で「イエースタデイ~」風に歌っていた中央ショービズ文化に対して、あの「イェスタデー」は A hard day's night で見せたモノクロームとタートルネック、シガレットを象徴しているのだ。

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2018年12月11日 (火)

上野東京ラインのニューロマンサー

 両親の実家が、それぞれ関東と北海道だったので物心ついた頃から割と頻繁に羽田を利用(学生時代も地方の大学だったし)していた。そのため昭和の『山手(or京浜東北)線を経由してモノレール』という感覚が染み付いている。
 もちろん東松戸や新鎌ヶ谷から一本というルートや駅前から直通バスというチョイスも一通り試してみたのだが気が付けば常磐線が品川まで届くようになっているので(何度か乗り換えを挟んでも)品川経由で京急を使うのが体感的に一番楽なようだ。時間帯にもよるけれど座れるし(モノレールってなんだかんだ言って狭いよね)。今回もガラケー(EZ-web)乗り換え案内では推薦順位4番目くらいだったけど京急品川ルートで帰ってきた。Dscn0952_jal_trimming
 文庫版で再読中の『スペインの宇宙食』は日暮里あたりで読み終わった。最後のパートはポストサイバーパンクな感じの短編小説で同時代の伊藤計劃に文体や雰囲気が寄っているので改めてハッとする。予備に持ってきていた『ニューロマンサー』をカバンの底から引っ張り出す。確か初読は学生の時だから20世紀の筈だが手元にあるのは何故か2003年27刷。一度売り払って買い直したか。那覇から、ここ数日で急激に気温の低下した羽田に降り、その地下から京急を経由して「品川発水戸行き」という旧世紀では非現実的な響きしかない列車の暖房過多な座席に収まりポストサイバーパンクを読み終えて元祖サイバーパンクの再読をはじめる。あまりにも繋がりの良すぎる一連の流れに恍惚となりながら、しかし以前は半分くらいチンプンカンプンで、それがむしろチバシティの幻惑的なイメージをブーストしていた冒頭の文章が21世紀も18%くらい消化した時点で意外なほど分かる。エッジの効いた技術的用語がそこそこ一般化したこと、個人的に教養の幅が少しだけ広くなったこと、そしてなによりギブスンが提示したイメージをみんなでよってたかって現実に取り込んできたこと、などによって随分「分かる」ものになっていた。考えてみればこの間に攻殻がありマトリクスがあり(JMもあったし)ブレードランナーの新作まで出てきたし、ベルリンの壁が崩れソ連が解体されWTCも崩れ落ちて、そもそも初読時の80年代末には存在しなかったwww(草じゃないぞ)が当たり前のインフラとして受容されギブソン本人をツイッタでフォローする一方で東日本を大津波が襲ったその果てに品川発水戸行車内で読む『ニューロマンサー』の味わいである。

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2018年10月26日 (金)

極私的「小悪魔」考

「星ぼしの荒野から」未読なんだけれど僕は僕で「たったひとつの冴えたやり方」のコーティを候補のひとりとして思い浮かべたりしてたので確かにティプトリーの描く人物はそれっぽい要素があるのかも知れない。で風呂入りながら性懲りもなく考えたりしてたんだけれど「小悪魔」というキャラクタ自体に何となく70年代的スメルを感じたりもする。と言って松本零士ではないし。つらつら考えながら基準を仮定した。① cute であること ②そのことに自覚的であること ③それによって周囲の人間を振り回すこと ④成熟していないこと、すなわち総体として innocent であること(devil なのに) この基準においては峰不二子が④でハネられ、クラリスは②によって弾かれる。松本美女も大方④基準に抵触する。登場初期の森雪などは、ほぼ条件を満たしているのではないかと思われるのだけれど彼女は作品を通してかなり早い段階で成長し成熟を遂げてしまうので惜しい。ちなみにデジタル大辞林によると1 小さく力の弱い悪魔。しょうあくま。2 男性の心を翻弄(ほんろう)する、魅力的な若い女性。となっており、まあ少なくとも自前の定義とコンフリクトするものではないだろう。愚考を続けると淺倉南などはその振る舞いにかなりデモーニッシュなものがあると常々指摘されているのであるが一応作品における暗黙の前提として②が欠けている。ことになっている。このように僕があれはどうか、これはどうだろうと無節操に思い浮かべるものがほとんど70~80年代の作品群であることは「小悪魔」的造形が時代に規定されていることを示す訳ではもちろんなく、ただ単に僕がおっさんであることを逆照射しているに過ぎないが、そんななかで上記基準にかなりよく適合するモデルが発見された。如月ハニー。これは僕にとってはかなり腑に落ちる人選なのだが、その彼女が実は人造人間すなわちアンドロイドであることは何というかこの問題の根幹に関わる絶対的な非実現性、不可能性を鮮やかに浮かび上がらせているのではないか。

とか言いつつ「逃げ恥」のガッキーあたりが既にコンテンポラリーの文脈でこの問題を解決してしまっているような気がしないでもなかったりするんだけど、あとあれだ、それを言うなら「みなさん、さようなら」(2013)における波瑠の存在を抜きに語る訳にはいかなかったのだけれど本稿を書きながらまさに、いま出てきてしまったので今回はこれにて、いったん閉じます。

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2017年12月13日 (水)

モノクロームテレビジョン

以前に「昆虫軍」のイメージ喚起力について一席ぶったんですけど、最後にあげたあのフレーズが、あんなに刺さっていたのははアレとコレでこういうパラレルな関係を切り結んでいたからですね。ふと気がつきました。

ちなみにこの「空の色問題」は一時期ウェブ界隈でも物議を醸していましたが、かなり信頼度の高い論考を拾ったので参考までに → >出典マニアが「『ニューロマンサー』冒頭の空の色は青」とかいう珍説を供養しておきました。

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2017年12月12日 (火)

>惑星ソラリス


例の首都高のシーンについて、野口悠紀雄は
>『日本人の観客には興ざめのシーンだ。もともとこの場面は必要ないので、「惑星ソラリス」で唯一の失敗個所である。』なんて書いている。http://office.noguchi.co.jp/archives/712 この辺りがこのおじさんの限界。(この人の「分類するな、並べよ」という提言は好きですけどね)。

短縮版について https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9
>『日本で発売されたビデオソフトの中には、全編日本語吹替版(声の出演:木村幌千葉順二寺田路恵ほか)で、オープニングとエンディングではオリジナル版に存在しないケルヴィンのナレーションが流れ、彼の父親とバートン飛行士、そして有名な首都高速の映像を全てカットした(それでいてオープニングのキャスト紹介の字幕では、彼等二人の配役と役者の名前がちゃんと紹介されている)ヴァージョンが存在する。これは、東京12チャンネルが2時間枠のテレビ放送用に作成したもので、その後東宝からビデオとして販売された。このヴァージョンではその他にも、ソラリス・ステーションでケルヴィンとハリーが彼等の家族が映ったホーム・ムービーを観るシーンや、ケルヴィンが夢の中で母親と再会するシーンなど数多くのシーンがカットされていて、165分のオリジナル版が90分になっている(画面サイズはスタンダード)。
地球シーンが無いことなど、実は「映画版」と「小説」が乖離している部分がかなりカットされており、タルコフスキーの世界観を度外視するならば、奇しくもレムによる原作に近い仕上がりになっていると言える。

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2017年11月 6日 (月)

作業用

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2017年10月30日 (月)

最初期の「蛹化の女」 (1983)

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