2018年10月26日 (金)

極私的「小悪魔」考

「星ぼしの荒野から」未読なんだけれど僕は僕で「たったひとつの冴えたやり方」のコーディを候補のひとりとして思い浮かべたりしてたので確かにティプトリーの描く人物はそれっぽい要素があるのかも知れない。で風呂入りながら性懲りもなく考えたりしてたんだけれど「小悪魔」というキャラクタ自体に何となく70年代的スメルを感じたりもする。と言って松本零士ではないし。つらつら考えながら基準を仮定した。① cute であること ②そのことに自覚的であること ③それによって周囲の人間を振り回すこと ④成熟していないこと、すなわち総体として innocent であること(devil なのに) この基準においては峰不二子が④でハネられ、クラリスは②によって弾かれる。松本美女も大方④基準に抵触する。登場初期の森雪などは、ほぼ条件を満たしているのではないかと思われるのだけれど彼女は作品を通してかなり早い段階で成長し成熟を遂げてしまうので惜しい。ちなみにデジタル大辞林によると1 小さく力の弱い悪魔。しょうあくま。2 男性の心を翻弄(ほんろう)する、魅力的な若い女性。となっており、まあ少なくとも自前の定義とコンフリクトするものではないだろう。愚考を続けると淺倉南などはその振る舞いにかなりデモーニッシュなものがあると常々指摘されているのであるが一応作品における暗黙の前提として②が欠けている。ことになっている。このように僕があれはどうか、これはどうだろうと無節操に思い浮かべるものがほとんど70~80年代の作品群であることは「小悪魔」的造形が時代に規定されていることを示す訳ではもちろんなく、ただ単に僕がおっさんであることを逆照射しているに過ぎないが、そんななかで上記基準にかなりよく適合するモデルが発見された。如月ハニー。これは僕にとってはかなり腑に落ちる人選なのだが、その彼女が実は人造人間すなわちアンドロイドであることは何というかこの問題の根幹に関わる絶対的な非実現性、不可能性を鮮やかに浮かび上がらせているのではないか。

とか言いつつ「逃げ恥」のガッキーあたりが既にコンテンポラリーの文脈でこの問題を解決してしまっているような気がしないでもなかったりするんだけど、あとあれだ、それを言うなら「みなさん、さようなら」(2013)における波瑠の存在を抜きに語る訳にはいかなかったのだけれど本稿を書きながらまさに、いま出てきてしまったので今回はこれにて、いったん閉じます。

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2017年12月13日 (水)

モノクロームテレビジョン

以前に「昆虫軍」のイメージ喚起力について一席ぶったんですけど、最後にあげたあのフレーズが、あんなに刺さっていたのははアレとコレでこういうパラレルな関係を切り結んでいたからですね。ふと気がつきました。

ちなみにこの「空の色問題」は一時期ウェブ界隈でも物議を醸していましたが、かなり信頼度の高い論考を拾ったので参考までに → >出典マニアが「『ニューロマンサー』冒頭の空の色は青」とかいう珍説を供養しておきました。

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2017年10月 4日 (水)

カラシニコフに取り付けた『特殊な装置』って何だよ!

…銃に特殊な装置を取り付け、連射できるように細工して殺傷能力を高めていたことが2日分かった。AP通信が当局者の話として伝えた。』(ロイター

AP発のこの情報があちこちのマスコミでそのまま引用されているのだけれど、カラシニコフ使ったのが分かってるのに『連射できるように細工』って何?『特殊な装置』って何よ、と気になって少し調べてみた。

警察によると、一部に連射を速める特殊加工がされていた』(FNN) …連射を?速める?よけい分からない。

一発ずつしか発射できない銃を全自動(フルオート)で連射できる装置を持っていた。』(朝日新聞デジタル) ふむ。

アメリカの銃規制については例の修正第二条がそもそも民兵を想定している訳で、であればフルオートの自動小銃くらいフツーに持つだろうと思っていたのだけれど、調べてみたら、さすがにそこは規制があるらしく所謂「簡単に手に入る」レベルのカラシニコフは普通セミオート仕様になってるとのこと。『米国では銃の乱射事件が度々起きておりますが、米国の事件で使用されたライフルは、旧ソ連製AK47(カラシニコフ)の中古品をフルオート機能を無くしセミオートに改造したスポーツモデルが多い。この銃は安価(2~300ドル?程度)で且つ大量に米国内に出回っている…』(株式会社セキュリコ) 

で、今回使われたのはこのセミオート仕様を使いながらも連射を可能にする部品、ということらしい。『…半自動小銃の「全自動」での連射を可能にする「バンプ・ファイア・ストック」と呼ばれる部品12個も発見された。この部品は合法なものもあり、100ドル(約1万1300円)程度で販売され…』(毎日新聞) 

バンプファイアとは、指を前後させてトリガーを引く代わりに、指は同じ位置で固定し、反動を利用して銃の前後移動によりトリガーを引く方法… …指を動かさないので、銃を前へスライドさせている間だけフルオートで発射される仕組みです。法律上(連邦法)のフルオートの定義は、「トリガーを一回引いて弾が複数発発射される機能」を指すので、反動を利用するバンプファイア・ストックは合法…』(HB PLAZA) 

代表的なのがSlide Fire社の「バンプファイア・ストック」。反動で銃が前後動するのを利用して連続でトリガーを引けるようにするものです。法的には単に「取り付けの甘い銃床」なので規制もありません。』(DNA) 

とまあ非道い話で、まとめると

  • アメリカでもフルオートの小銃所持は違法、もしくはハードルが高い
  • セミオートのカラシニコフなら3万円くらいで買える
  • 1万円くらいの合法パーツ「バンプストック」を買えば疑似フルオート可能(合法)
  • FNN の中の人はよくわからないままに書いてる

結局、フルオートの自動小銃所持について建前上は禁止されているものの、実際には市街戦用まがいの疑似フルオートが簡単に手に入り5万円でお釣りがくる。今回はまさにそれが使われた。

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2017年3月22日 (水)

「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」/村上春樹/文藝春秋

みんなが氣志團に気を取られてる間、こっそり読んでる紀行文集のレビューをします。レビューにはなってないけれど。

飲みかけのテーブルワインをグラスに注いでギリシャパート(懐かしいふたつの島で)を読む。

僕らが彼の地を巡ったのは何年前だっけ?にわかにちょっと分からないぞ。ほとんど資料らしい資料が残ってないので判然としないけれど、おそらく15,6年前。当時僕が出した絵葉書まだ持ってる人がいたら写メでも送ってくれると有り難いです。

だいぶ余計なことを書いたけれども、この紀行文集は食に対して割とフォーカスされているので、そこから旅の味の記憶がいろいろと甦ってきた。素朴だけれど美味しい海産物と、クセがあるけどクセになるウゾー、レッツィーナワイン。それだけで良い旅だったなあ、と思い返される。

一人でほっつき歩く旅も、それはそれで濃密な体験なんだけれども、食べることに関しては複数で行動することのメリットが圧倒的にある。ワインもボトルで頼めるしね。

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(イメージデータを少し添えようと古いプリントを引っ張り出しました。日付を見ると2000年の夏。 WTC に飛行機が突っ込んで世界がこんなことになる少し前だったんだな。)

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2014年10月 5日 (日)

認知科学特論

雨に濡れたシャツを掛けておく場所が見当たらないので取り敢えずTVに掛けてみた。
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たまたま RGB の G と R が最大ピクセルで並んでいる形になる。フレームで切り取ってリサイズした画像ではなんてことはない。一方、実物大で生活の風景に溶け込んでいると、ふとした時(掃除などしていて顔を上げたときなど)視野に入ってきて、識域下で「TVがついている」ように処理してしまう。そのたびハッとするような効果が生じる。無意識のうちに視野に入ってくるというあたりがポイント。いちどお試しあれ。

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2014年8月14日 (木)

「吹奏楽」文化論

ここ数年「吹奏楽」にはまさに公私ともに相当コミットしているのだが、いまだに、いわゆる吹奏楽文化にはもうひとつ馴染めないでいる。

その界隈の人たちは「吹奏楽」をいわゆる「ブラスバンド」から引きはがそうとしているようにも見えるし、このへんは話し始めるといろいろと長くなるのだが、お盆だしいっちょ一気呵成に書いてみるか。

そもそも「吹奏楽」と「ブラスバンド」は違うのかというと、関係者には言わずもがなだが、ブラスバンドの直訳が真鍮楽団すなわち金管バンドであることから、狭義の「ブラバン」には木管楽器が含まれていない。打楽器の立場はとか言い出すと話が逸れ過ぎるのでここでは知らないふりをする。

まあそうは言ってもここで金管バンド原理主義の話をしようという訳ではなく、ある程度のルーツになっているスタイルを何パターンか念頭に置いている。後述するが簡単にまとめると「管楽器を主体として構成されるややコンパクトな楽団」ということになるのかも知れない。

1)ミリタリーバンド、漢字にすると軍楽隊
もちろんトルコのアレという訳でもなく(だから話が逸れる!) こういうスタイル。木管もいて悪天候には弱そうだけれど、まあ確実に吹奏楽のルーツのひとつとは言えるだろう。昨今妙に流行っているマーチングなんかはまさにこれの直系なのかもしれないけれど、ミリタリーバンドの軍楽隊たる所以は「動ける」ことにあると僕は思っているので、近頃の大掛かりな、銅鑼やティンパニまで据えつけてフィールドでマスゲームやるようなショウは軍楽隊の遺伝子を正しく受け継いでいない気がする。僕が『「吹奏楽」を「ブラスバンド」から引きはがそうとしている』と感じる一部はそこにもある。マーチングバンドならばマーチを真面目にやれ、と。

2)その意味では軍楽隊のプロパーな系譜は、ブリティッシュ・スタイルにつながると思う。これってその筋では地味に人気あるようだけど、「吹奏楽界」とくに日本のそれにおいてはやはりマイノリティだよね。

3)ニューオーリンズ・スタイル
これも練り歩き系というところでは近いものがあるかも知れない。やはりブラスバンド・オーセンティックのひとつには違いない。

4)ビッグバンド
時期的に見ればやはり「管楽器を主体として構成されるややコンパクトな楽団」のルーツのひとつだと思うが、とくに隆盛を極めた40-50年代という時代にスイング・ジャズ自体がクラシックのプロパーから蔑視されていたことから、学校主体の現代日本吹奏楽界にはあまりまともに取りあってもらっていないスタイルという流れと言い切ってしまうとたぶん異論が噴出するのだろう一部では結構特化してるしスイング・ガールズとかも一瞬ブームになったし。とは言え、やはり吹奏楽連盟様の主流じゃないよね。

実はこうしてぐだぐだと書き連ねているうちに何とはなしにようやく自分の言いたいことが見えてくる、というのは僕にとってはいつものことなんだけれども、先に書いてみてそうそうこれこれと思って段落を遡って挿入したフレーズに大体言いたいことは集約されている。つまり僕は「管楽器を主体として構成されるややコンパクトな楽団」が好きなんだな。「ややコンパクト」というところがミソです。言い換えると部員100人とか200人とかちょっと…(ひく)。ステージからこぼれるくらい人のせてシンフォニックな大曲をど迫力で聴かすよ、というスタイルにあまり馴染めないんだな。そんなにシンフォニックにやりたいならオケでやれとかは言わないようにするけど、「吹奏楽」というスタイルのアイデンティティが拡散しすぎてなんかもう。もともとオーケストラをやりたかったけれども、お金がないから軍楽隊もどきでなんとか真似をしてみましたという時代の音楽学校を出た先生たちのルサンチマンをいまでも引きずっているような気がして何ともやりきれない感じに勝手になってみたりします。

なんとなく自分の「私」の方の活動をディスっているとみる向きもありそうな文章になってきましたが、あっちはいろいろなスタイルに寄っていける柔軟性があるので僕は好きですよ。(まあ好きでなければこんなに続けていない)。同時にバンド(コンボ)スタイルの活動も当然おもしろいし、「公」の方の活動も本来は上述の価値観にのっけていくととくに規模の面では結構肌にあってる。なかなかそのイメージを共有できないのだけれど。
まあ既に主題は語りつくされたような気がするのと、もう夜も更けてきて文章の論理性が疑わしくなってきているので(眠いし眼が疲れた)、一晩寝かせるのが賢明とは分かっていながら、拗けた承認欲求の行き所がないので碌に読み返すこともせずこのままアップしてしまいます。後日落ち着いて読み返すたびに少しずつこっそりと推敲されていくかも知れません、ていうか間違いなく修正する。ことによるとまるごと削除されるかも知れません。なんだくだらねえと思いながら最後まで読み通したあなたとは一期一会なのかも知れません。知れません。知れません。知れません。

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2014年7月 2日 (水)

三大紙の頓珍漢(読売編)

相変わらずのクォリティ・ペーパー。1面の政治部長による文章が訳分からない。
『政府が憲法解釈を変えたことではなく、長年変えなかったことに驚くべきだろう。』なんだそりゃ。憲法そのものの改正が一度もおこなわれていないことについては賛否あるだろうけど、「解釈」を時の政府がコロコロかえる「べき」だという主張は初めて見た。

1972年政府見解と『この見解が出るきっかけとなった国会質問の一節を紹介する。』
『日本海軍の撃滅を目的とするロシア・バルチック艦隊は欧州を出航し、対馬沖を通ってウラジオストクに向かっていた。この艦隊への攻撃は、日本国憲法に当てはめれば、合憲か、違憲か。』『憲法解釈に従えば、東郷平八郎率いる連合艦隊は、指をくわえて見守るしかない。』 それ 個 別 自 衛 権 に関する発動要件の問題だろう?集団的自衛権となんの関係があるの?分かってて無理繰り書いてるの?それとも馬鹿なの?

与党もマスコミも「自衛的対応の発動基準」と「個別/集団的自衛の線引き」の話が(あえて?)ごちゃごちゃだ。解釈変更には2つの柱があります、とハッキリ言うところから始めなさいよ。サヨクも「集団的」にひっかかりすぎて前段を軽く見てやしないか。

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2014年4月28日 (月)

楽器の購入と部活動

ツイートしてたら際限なく長くなってきたのでこちらにまとめておく。

>『公立中学の吹奏楽部、ン十万の楽器を購入させられます(泣) 』
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0529/186151.htm

発言小町はトピ元にネタっぽいぶっ飛んだのが多いと思っていたが、これについては「そんなの当たり前でしょ」がほとんどを占める回答に強い違和感を覚える。

小学校のときこそ先生の紹介で展示現品限り3万円ポッキリの安いYTR234を買ってもらったが、高校では備品があるからコルネットを吹けと言われ、インペリアルモデル(*)を吹いた。
引退すると備品で練習できなくなるので、その前に10年以上溜め込んでいたお年玉をほぼ吐き出してBackの180MLS(**)をお茶の水下倉で買った。

僕の感覚では、中学で入部するなり初心者に10万円を超える楽器を買わせるとか頭おかしい。オブラートに包んで言っても良心的ではない。

>『購入できないなら本人の希望する楽器を担当できない事もある
(学校の楽器を使用してもらうが数がない為)』

というのは仕方ないし、まっとうだと思う。

どんなにボロボロでもそこに楽器があるならまずそれやれよ、と思う。それでも特定の楽器に断ち切りがたい未練があったり、楽器のボロさに我慢できなくなったときに初めて、親の脛を囓るなり、夏休みにアルバイトするなりすればいい。

別の楽器をやってみてなお憧れの楽器への思い断ちがたく、とか、ボロボロの楽器でどうしても思い描く音色が出ない・音程が悪くひどく苦労する(というのは音程の良い楽器を使ってみて初めて分かったりすることでもありますが)、という時に至ってよし奮発して良い楽器を買おう!というストーリーが大事なのだというのはあまりにもオヤジ臭い意見ですかそうですか。

まあクラシック業界は貴族的ですから、レノンが万引きしたハープで初期ビートルズのサウンドをバチッと色付けたこととか、内田が蚤の市で買ったギターを憂歌団のステージで使い続けるようなマジックは期待出来ないと思いますが、したり顔で「音楽とはお金のかかるものなのです」とか、音大出身者みたいな意見はこの場合マジ勘弁てやつですよ。

「初心者の中学生がこれから趣味で始めること」なのに。

もちろん、初心者だって良い楽器を持って始めた方が好ましいですよ。そんなの当たり前ですよ。質の良くないモノを与えることによってあたら若い才能の芽を潰してしまうかも知れない。音程の悪い鳴らない楽器から入ることで、愚鈍な耳を育ててしまうかも知れない。

だからと言って主婦がひと月パートやっても買えないようなものを価値もよく分からないコドモに与えることはあんまり感心しない。葉山あたりにクルーザーでも持っていらっしゃるハイソなご家庭の方なら好きになされば良いと思いますけど、それによってスポイルされてしまうものも大きいと思うよ。それはいわゆる芸術とは関係のないことかも知れないけれど。

質問者が「公立中学なのに」と言ってるのはその辺のニュアンスでしょう?
それに対して医者の息子が音大受験するかのような感覚で回答するのはいかがなものかと思うわけですよ。

僕はやってみて音楽面白いと思ったから、それまでほとんど使ったことのなかったお年玉貯金(覚えている限り、引き出したのは小学生のとき鋼鉄ジーグの超合金(***)がどうしても欲しくなったときと、中学生になって2万円のモーリス フォークギターを買ったときだけだ)をほぼ全額つぎ込むことにまったく躊躇はなかったし、実際、そうして手に入れた愛機は今に至るまで使い倒しているので費用対効果は抜群だ。要はそういう熱が果たして本人にあるのか、ですね。

(*)うおうテキトーに画像探してたら思いがけず状態の良いインペリアルが2万6千円。この状態でこの値段、スゲエ心が揺さぶられております。

(**)思ったほど値崩れしてないところはさすが名機。

(***)正確に言うと超合金は商標なのでたぶんちょっとちがう。しかし何であんなものが喉から手が出るくらい欲しかったのだろう。いまとなっては頭にナニカが湧いていたとしか思われない。しかも大事にしまい込んでほとんど遊ぶこともなかったような気がする。

(****)ジーグは今まで大事に守り抜いたとして2万円程度だが、ついでにサイト眺めていたら初期型のマジンガーは百万円ですって奥さん!シルキー2本買えますわよ。

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2014年2月28日 (金)

二通の手紙

企業戦略的側面から「二通の手紙」http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/02/17/1344255_03.pdf →p.140: firefox だと化けるので IE 推奨)を再構築する試み。


”「駄目だと言ったら駄目だ。」元さんはコンプライアンスを尊重し、幼い姉弟の願いを頑として拒みました。もし彼女らに何かあったら自分だけではなく会社や、その経営者までが大きな責任を負わなくてはならないことを学んでいたからです。

 姉弟はうなだれて家に帰り、お母さんに事の成り行きを話しました。規則は規則ですし、何よりも二人の安全が大切です。納得したお母さんですが、でも少し残念に思いこの日の出来事をブログに綴りました。

 お母さんに悪意はなかったのですが、情報セキュリティの面でやや脇が甘かったので、たちどころに動物園が特定されブログが炎上しました。

 さあ激怒したのはこの動物園のオーナーです。先日買収の手続きも終わり、これから所有企業のイメージ向上プランをあれこれ用意していた矢先に水を差された形になってしまいました。怒りの矛先は担当した元さんに向かいます。「いつまでお役所気分で仕事をしているんだ!そんな硬直した仕事のやり方は民間じゃ考えられない!」大手企業の会長も務めるオーナーは、引き継ぎにあたって全職員の退職願を預かっていました。さっそく元さんを呼び出すと、いますぐその窓から飛び降りろ!と迫り、事実上の辞職勧告をおこないました。しかし形式的には自己都合による退職ですから失業保険は満額支給されません。

 解雇通告を前向きに受け止めることができた元さんは「新たな出発ができそうです。」と言って去ってゆきました。”

なんだこれ。

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2013年7月24日 (水)

風船が木に引っかかったので、右腕と右肩が筋肉痛である。

順を追う。

 先日 u がじーじとばーばにすげえ立派なビニル風船を買って貰った。千七百円っていったかな。なかにビニル熊が入っていた二重構造で、全体がヘリウムで大きく浮く。部屋の中で抱えてからパッと離すと勢いよく天井に上がっていくので大喜び。
 2,3日経つと少しガスが抜けたのか、紐についているボール紙とほぼ釣り合いがとれ、部屋の中程に空気と同じ比重でぷかぷかと漂うようになった。
 日曜日、気持ちいいのでエアコンを切って部屋に風を通していたまだ明るい夕方、u と外を眺めつつ、彼女が網戸の開け閉てで遊んでた折、ふと風が巻いた瞬間風船がふわりと窓外へ漂い出た。慌てて追いかけたがすんでの所で手摺を越えてしまった。ほぼ空気と同じ比重なので一気に上昇することもなかったが、強い横風に煽られて一気に 200 m くらい流されてしまった。脱兎のごとく飛び出して探し回ったあげく裏手の塚に密生している高木の枝にひっかかっているのを発見。これが何とも言えない高さで、ヒマラヤ杉みたいな木ならば登っていけたかもしれないが、あの木は何の木だろう、とりあえず根元から 5 m くらいは手がかりになる枝もなく、さらにその一番下の枝から 7,8 m かな、遠近法でもう正確な見積が難しいんだけど、道路挟んで向かいのマンションとの比較では3階から4階相当の高さにひっかかっていて途方に暮れる。

 それでも一度トライしてみたんだ。子どもの頃は何にでもよじ登っていたから、いけるかもしれない。とりあえず手がかりのない木を抱えて腕力とバランスで 4 m くらいは登ってみた。そこからもう一踏ん張りすればはじめの太い枝には取り付けたかもしれないが、そこで力尽きて落下するとこれは結構な怪我をしかねない、という大人の理性的な判断が働いてしまいずるずると後退。でももう抑えが効かないから幹を抱えて両腕とデッキシューズのふちをずざざざざと擦りながら滑り降り(落ち)る。左腕の内側が擦り傷だらけ。

 余談だが、おっさんたち、鉄棒とか雲梯とか昔の感覚でぶら下がってみると愕然とするぞ。子どもの頃って力は弱いけど、それ以上に体が軽く、上半身と下半身のバランスも違うからいわゆる体捌きがまるで別の生き物のそれになっている。どちらかというと猿に近い。まああと毎日遊んでたからそこに必要な筋肉が特異的に鍛えられていたということもあるのだろう。とにかく雲梯なんか二、三本飛ばしながらひょいひょいいけたという模造?記憶があるのだが、こないだぶら下がってみたらうわあどうしよううわわうわわあうあうあう、という感じだった。足が着いちゃうからそれを浮かせておくために余計なところに力がかかるのだけどそれにしてもだ。

 話を戻す。10 m か 20 m か、ちょっと正確なところは分からないけれど、とりあえず手近にある石だのボールだのいろいろ投げてみる。一番投げやすかったのはもちろん野球のボールであるが、20回か30回投げてようやく一回当たった。しかしひもがなんか枝にくしゅくしゅと絡まっていて外れる気配なし。ちょっと打つ手なし。

 それで筋肉痛ですよ。なんという鍛え抜かれていない肉体。

 この異様に長くなってしまったテキストのしかし主題は、これもまた子どもの頃の記憶を呼び起こしたというところ。僕は小学生のとき、社宅というか団地にすんでいたのだけれど、四階建てのその団地棟の東側側面が小さな公園になっていて、そのスペースでいろいろなことをしてよく遊んだ。そしてその団地棟の側面が、ボールをぶつけてひとりキャッチボールやフライ捕球の練習をするのにちょうどいい的だった。(いま考えると角部屋の住人にはいい迷惑だったろうな。)よくテニスボールや軟球をぶつけてひとりで遊んでいた。階と階のあいだにはちょうどラインが入っていてどこまで高くボールが届いたかの、いい目安になる。3階に届くかどうかだったのが次第に4階に達するようになり、小学5年で引越す頃には屋上越えてボールが抜けていった。毎日遊んでいるうち、忍者の修業のように知らず知らず肩が出来ていった。

 キャッチボールすらもう何年もやってない人生の折り返しを過ぎた肩は、驚くほど萎えていた。

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