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2008年6月13日 (金)

スラブ行進曲的なるもの

【music review (classic)】

「“スラブ行進曲”作品31」 チャイコフスキー作曲
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ロリン・マゼール
Dscn8666
カーステ(NHKFM)から流れてきた。
懐かしいがずいぶん新鮮に聴こえた。

懐かしいというのは中学(だったと思うんだが…)の頃に吹奏楽アレンジでやったことがあるから。
その頃のアタマで覚えた記憶はずいぶんぼんやりしているが、カラダで覚えた記憶はふとした折りに結構鮮烈によみがえったりする。
最近はラッパも小手先をごまかしながら結構アタマで吹いてしまったりするんだが、当時における楽器と曲の修練は圧倒的に身体的なものだ。(ずいぶん繰り返し練習したしね。)
だからいまだに曲の構成もほぼアタマに入ってるし、主旋律はフィンがリングまでほとんど覚えている。

新鮮というのは、田舎のぼーっとした中学生には皆目わかってなかった曲の文化的背景ってやつが多少なりとも感じ取れるような気がしたからだ。
じつはいまだもってチャイコフスキーがこの曲を書いた歴史的背景や音楽史における位置づけなんかは大して勉強してないし、とくにする気もない。
にもかかわらず、おおよそ四半世紀の歳月は、いくらぼーっと生きている人間にもいろんな経験を降り積もらせる。

ついうっかりするとすぐなんとなくわかったような文化的だの歴史的だのという言いまわしに頼ってしまうんだが、要はそのサウンドを聴いて「ああすっごくスラブ的だなあ」と感じたというだけ。
ただそう感じるための下地として例えばスラブというかボヘミアなんだけどプラハの街を歩いた記憶とか、カフカとかドストエフスキイとか(つながっちゃいないんだが)ソルジェニーツィンとか若しくはストルガツキーやらレムやらをとりあえず読むだけは読んだことだったりとか、タルコフスキーを何本か観てみたりキンザザに大喜びしたり、プラハ以外にもイタリア・ローマから、アテネやロードス、イスタンブールからカッパドキアあたりの街をそれぞれ歩き、キリスト教圏からイスラム文化圏へ、さらにその向こうやボヘミアの辺縁に垣間見えるスラブ文化へのグラデーションのようなものを何となく勝手なイメージとして保持していたり、スラブ研究センターとか構内にある大学へ4年間も通いながらしかしいわゆるスラブ的なるものに露ほども関心を払わなかったボンクラ学生であったにもかかわらず、やはり類似性を帯びた気候風土は知らないうちに体内へ入り込んで来ていたし、指揮者の後ろの窓に吹雪を見ながらチャイコやシベリウスのリハーサルを重ねたり、またやはりただぼんやりと在籍していたその学生オケにしかし4年近くも関わる間には西洋音楽の歴史的発展やその背景となる社会思想との連関についてまあなんとなくそんなものかなと言う程度にはイメージの種が播かれたりというような、それだけかいと言えばあまりにそれだけではあるんだけれども、そんなものすら欠片も持たない中学生にはまあ感じろといっても無理なものが四半世紀経って何となく感じとれたことが今日は新鮮に感じたのでした。

ふと思ったけれどやはりスラブとスレイブはつながっているらしい。

↓ミシガンの学生オケ版(いったいどこにマイク置いてるんだ?)

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コメント

>指揮者の後ろの窓に吹雪を見ながらチャイコやシベリウスのリハーサルを重ねたり
それは、なかなか「くる」ものがあったろうなあ。

>いったいどこにマイク置いてるんだ?
指揮者の後ろに、にょきーんと伸びている長いのの先にマイクがついているのでは?

ミシガン州立大のラッパは、ちょっと残念な音だなあ。

投稿: sing | 2008年6月14日 (土) 00時53分

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